ずっとずっと昔の1989年頃の話。当時、電機会社の研究所に私はいたのだった。で、なぜかネット管理者もやっていたのだが。。。。
時代は、まだ、10Base-T、Netscapeナビゲーター、ADSL、Windows95なんかない時代。UUCPでJUNET,ダイアルアップモデムでニフティで、吉村伸が東大助手、斎藤明紀が阪大院生という時代だ。NCSA Mosaicがでたのが、1991年。

研究所だから、いちおうLANはあったのだが、それは、同軸ケーブルを使ったイーサネットで、10Base5という。これは太い一本の同軸ケーブルに、トランシーバーという分岐口をもうけて端末をつなぐものである。10Base5の5は、ケーブル長が最大500mということ。当時、イーサネット直結していたのは、当初は30台前後だったと思う。外とは、ダイアルアップモデムでJUNETとつながっていて、社内の他の2箇所とは、専用線と内線電話接続でつながっているという。だが、時とともに、端末は増えていった。それらは、当初は、全部、大蛇のように長い1本の基幹同軸ケーブルにつながっていたのだった。

 だが、ある日、ネットワークが鈍くてどうしようもないと、いうことが起きた。だが、我慢していると症状は去る。だいたい、症状が起きるのは、昼休みを挟んで午前と午後で、昼休みには症状が改善される。それで、そんなものを我慢していても仕事には大変差し障りがあるので、調べたのだったが、それは、ブロードキャストストームが起きていて、コリジョンが多すぎてネットが使えなくなっていた。

 それで、音頭とりになってPC-Router(PCにWestern DigitalのLANカードを2枚刺しして、ルーター動作させる)を導入して、LANを分割・接続したのだった。当時、まだ、LANというのは一般化してなくて、それらの対処も手探り状態ではあったが。

 それから、15年近くたって、私は、なぜかUSでその電機会社の携帯電話開発をやっていた。US子会社だから、一部の日本人を除けば、残りは全部アメリカ人だ。技術も進んでいて、ネットは、100Base-TXの時代。もちろんネットワークがないと仕事にならない。その子会社は、携帯以外の人も含めて全部で200人近くの人が働いていた。で、やはり、ある日、ネットワークが完全に止まって、全員仕事にならないということが起きた。ネットが使えないだけではなくて、電話も受話器をあげても、トーンバックの音がなくて無音で、死んでいた。メールも読めないし、社内サーバーへのアクセスも出来ないので、ほぼ全員の仕事がストップした一日だった。

 で、アメリカは分業化の国なので、それは、IT担当の所管なわけだが、結局、なにかの装置に付属しているUPS(無停電電源)のバッテリーが不良で、その装置が不動になったのが原因だった、とあとで聞いた。どういう経緯をたどったのか知らないが、その後、IT責任者の人は、正社員の立場を失って、いくらかして辞めた(辞めさせられた?)と思う。

 まぁ、でもUSのITは、レベルは高かった。日本のITは、基本、ユーザーのニーズは無視して、自分たちで標準形を決めたら、それ以外のことは一切サポートできない、というのが多いように思う。だから、MacやLinuxを使いたいというと、それらは一切サポートしない(だってサポートできる知識も能力もないし)という。で、日本の会社の構造は、当時はリジッドだったから、そういう時代に対応できないITは、困ったちゃんである事が多々あった。その点、USはやはり、会社構造に問題ないとは言えないんだが、JPみたいに、漆喰で塗り固めたようなことはなくて、ましだった。だから、普通に、MacでもLinuxでもある程度はサポートできる。だいたい、USでは、会社が固まり過ぎてると、良い人は逃げていくし、会社はそのうち潰れるから。

 もちろん、会社勤めは、とうの昔に私は辞めてるので、今の日本の会社事情は知らないから、とやかくは言えないが。